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アドラー心理学とかお坊さんとか

2015年03月04日 19:44

1月の末から2月・・・一年に一度くるかこないかの「どよん期」が来ておりました。

どよん期 とは、読んで字のごとく、気持ちが「どよーーーん」として、基本的にやる気指数低め、なんとなくすべてが停滞しているような・・そんな時期です。

久々に隆之介さんと話してたら「今、土用だから節分抜けたら大丈夫だよ~」って言われたんですが、節分あけてもスッキリせず、どちらかというとさらに悪化して、おまけに肌荒れまでして、これが前厄だとしたらもう本厄はどうなるのかと途方に暮れておりました。節分前に明治神宮に駆け込んで、厄払いしたのに!うぇーん。

何を隠そう、いて座には、今年土星がくるっつーしね。試練きつすぎない?34歳の私に対して。


で、もうなんもしたくないーーーってなってたとある週末、「勇気がわいてくる」ってふれこみのなんだか売れているらしいアドラー心理学の本を読んで、ちょっぴり元気になりました。これね↓

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え


ぶっちゃけ言うと、読解力があまりない私なので、漫画からいっとこっかな・・と思って先にこちらを読んだんだけどね↓

マンガでやさしくわかるアドラー心理学


この漫画が面白かったんだけど、やっぱりもうちょっと深く理解したくて、嫌われる勇気も買ってもうむさぼるように読んだよね。

「嫌われる勇気」っていう題名は正直挑戦的すぎない?と思ったりするのですが、まぁセンセーショナルな題名つけないといけないからしょうがないよね~

ちなみに内容をざっくりと。


フロイトのトラウマ論は

あなたが苦しんでいるのは、過去のここに原因がある
と指摘するだけ、また「だからあなたは悪くないのだ」と慰めるだけ



に対して、

いかなる経験も、それ自体では成功の原因でも失敗の原因でもない。
自分の経験によって決定されるのではなく、経験に与える意味によって自らを決定する



というアドラー。

例えば「自分が両親に虐待を受けたから、社会に適合できない」と考えているのだとすれば、それは彼の中にそう考えたい「目的」がある。
ずっと自室にひきこもっていれば、親が心配し、親の注目を一身に集めることができる。家から一歩でも外にでてしまうと、だれからも注目されない、「その他大勢」になってしまいます。 誰もわたしを大切に扱ってくれなくなる。
つまるところ、親からの注目や愛情を一身に受けたいという目的のためにひきこもっている・・

というのがアドラーのいう目的論。
みな、なにかしらの目的に沿って生きていて、おこった出来事に対して、意味づけ、どういった解釈をしたかを決めるのはその人自身であると。
つまり、「●●のせいだ」という原因論やトラウマ論はなんの解決にもならないし、過去は変えられないので、今ここからどうやって変えていくかに注力せよ。という勇気づけがアドラー心理学の大きな柱です。


もしも幸せを実感できずにいるのであれば、「このまま」でいいはずがない。立ち止まることなく、一歩前に踏み出さないといけません。




「大切なのはなにが与えられているかではなく、与えられたものをどう使うかである」と。
例えば、他の誰かになりたがっているのは「何が与えられているか」にばかり注目しているからです。
それに執着して現実が変わりますか?われわれは交換可能な機械ではありません。必要なのは、交換ではなく、更新なのです。




つまり人は、いろいろと不満はあったとしても、「このままのわたし」でいることの方が楽であり、安心なのです。
ライフスタイルを変えようとするとき、われわれは大きな「勇気」を試されます。
変わることで生まれる「不安」と、変わらない事でつきまとう「不満」、きっとあなたは後者を選択されたのでしょう。
あなたの人生は「いま、ここ」で決まる




人生は競争ではない。
誰とも競争することなく、ただ前を向いてあるいていけばいいのです。
健全な劣等感とは、他者との比較のなかで生まれるのではなく、「理想の自分」との比較から生まれるものです。



他者を競争相手ではなく、「人々はわたしの仲間なのだ」と実感できていれば世界の見え方はまったく違ったものになります。



人は対人関係のなかで「わたしは正しいのだ」と確信した瞬間、すでに権力争いに足を踏み入れているのです。




アドラー心理学とは他者を変えるための心理学ではなく、自分が変わるための心理学。

というのがすごくしっくりくる本でした。


いやーあのね、この本ででてくる、アドラー的人生の目標、「仕事のタスク」「交友のタスク」「愛のタスク」という人生のタスクの3つのなかで、もう「愛のタスク」が圧倒的に足りていないこの前厄女、どうするべきでしょうか。
まぁね、アドラー先生も「愛のタスク」が一番難しいって言ってるけれども。

で、アドラーはとにかくよかったから、読んでみて!漫画じゃなくて、いきなり「嫌われる勇気」読んだ方がいいかも~っていう雑な感想なんですが、私の周りにもう一人「どよん期」を迎えている子がいて、彼女にこの本をプレゼントしたところ、ちょっと元気になったのか、何を思ったのか



真理子さん、お坊さんがやってるバーにいってみません?



なんて言われて、もうそうねーなんかそういうのに頼っちゃいたいというか、もう誰か私を諭して!もうなんなら叱って!って感じで、行ってみたんですよ。

四谷のVOWZ BAR。


坊主。VOWZ。


ってウソでしょ。おしゃれすぎる。

でね、写真なんて一枚もないんで申し訳ないんですが。もうね、どよん期だから。

最初、バーテンダーさんがお坊さんってだけで、まぁ仏壇とかがあるわけだけど、言ってもそこまで普通のバーと変わらないっていうか、お坊さんめちゃ忙しそうで、全然話せなさそうですけどー?私たち、叱ってほしいんですけどー?とか思ってたんです。もうドMモードで。

そうしたら、盲目のお坊さんがいらっしゃって、「夜の説法」を始めますと。

最初お経を唱えて、その後に、いらしているお客様の中からお題を頂いて、それにおこたえします。と。





ここで発言しとかないと、もう今日の目的果たせないかも・・・と一言発そうと思った瞬間



「ネコについて話してください~」とかっていう謎な発言をした酔っ払い女がいまして。
えーえーえーここにきてネコ? ネコ×仏教 ってどんなマリアージュやねん!って相当イラっとしたんですよ。私。
ネコアレルギーだし。貴重なお題をネコに使うなんてありえねー!私のどよん期がネコに消されるー!と焦っていたところ



うーん。ネコですか~
もう一つぐらいなにかありませんか~


って来たのでもう食い気味みに



なんか、最近人生つまらないんです。
停滞しているというか、くさくさしているというか。人生の目的を見失っているというか・・・
でも、どちらかというと不幸ではないし、恵まれている方だと思います。


って言ったんですよ。私。


ほいだら、そのお坊さんがつらつらと話しはじめて。


ネコがなくときって、機嫌が悪い時なんですって。
わりあい静かな時は、満足している時なんですって。

人生がつまらないといっているあなた、今はネコが鳴いていない時なんじゃないでしょうか。
刺激がたくさんあることが幸せな人生なんでしょうか。
穏やかな日々は幸せではないのでしょうか。
刺激に慣れすぎてしまっているのではないですか。
鳴いている時だけが人生ではないでしょう?
不幸ではない気がする、と思うなら、今の穏やかな日々をありがたいと思ったらいいのに

とおっしゃってて、妙に腑に落ちたし、ネコとのつながり方、神業!だなと。

そうなんですよねー

私自身、もがき苦しんでた20代を経て、30代になり、仕事も安定してきて、余裕が少しでてきた今。
必死に何かをしなくちゃいけないってこともないし、自分のペースで何事も進められて、自由の極みで、
そういった状態がほしくてほしくてしょうがなかったはずなのに、いざなってみると、意外と普通というか。
慣れって怖いね。幸せのハードルが知らず知らずのうちに上がってしまうというか。


で、それが停滞だと思っていただけど、これが平穏なのか・・・


今はその平穏を楽しむ時なのか・・・


と思いました。


でね、その後、結局終電で人がわらわら帰って、お坊さんとゆっくり話す機会もできて、
なんで仏教の世界に入ったんですかー?とかいろんなきっかけを聞いたり、途中で、デートで振られたお坊さん仲間が飲みに来たりして、もうね、なんだかんだ「みんな悩んでるんだな」とか「結局生きるって、私たちもお坊さんも変わらず泥臭いものよね」って思ったりして、なんかさらにスッキリ。


ここのお坊さんは、浄土真宗の宗派の方なんですけど、親鸞の

「欲って捨てられないじゃん♪」

っていうパンクな思想が人間ぽくていい。

なんていうことを聞いたので、歎異抄でも読んでみようかと。

漫画 歎異抄


ということで、同じくどよん期迎えている方、アドラー →VOWZ BAR でどうすか?


最後に。ネコ×仏教の説法で、



明日も当たり前のようにくると思っているでしょう?
でも、私たちはいつ死んでもおかしくない存在です。
生きている事は、あたりまえではなく、いつ死んでもおかしくない命にもかかわらず、生かされているという奇跡なんですよ。
そう思ったら、つまらないとか言ってる場合じゃないでしょう?


とおっしゃってたことも印象的でした。

正直、どよん期は、死んでるように生きているというか、意識的には死んだまま生きてる感じだったので、ピンとこなかったけど、命=時間そのものだな~と元気になった今は改めて思えます。



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